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塩田温泉の歴史はとても古く、発見されたのは奈良時代と推定されています。湯治場としての歴史も、少なくとも300年近くは遡ることができます。江戸時代の元文の頃(1736〜41年)には湯治に
利用されたという記録が残っているのです。
江戸時代には源泉を中心に湯治宿を兼ねた民家が4〜10軒あり、
泉質や効能は口伝えで広がって、遠方からの湯治客も多かった
ようです。文献には『丹波、但州、摂津、備前、四国地方より
多数の湯治客ありて諸病の全治せしこと(中略)ァー自然の力、
偉なる哉』とあります。 |
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明治初期の源泉と薬師堂→
(↑上の写真は明治時代の浴場) |
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| ↑大正時代の母屋 |
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塩田温泉の開発は、明治初期、1人の為政者の想いから始まりました。時の飾西郡長、野口弐実氏が、播磨唯一の鉱泉である塩田温泉の施設が整っていないことを憂い、「多くの方が利用できる温泉地として整備したい」と、熱心に呼びかけたのです。
それに応えて明治7年に創業したのが当館、上山旅館です。
また、明治12年には、オランダ人技術者ベウドワルス氏に
より良質の温泉であることが認められ、技師により温泉医学
および温泉地づくりの指導がなされました。 |
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↑昭和初期の全景 |
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明治18年には、村民のための村営の共同浴場もできました。
しかし、その後、村営では成り立たなくなったため、大正2年にはその経営を上山旅館が引き継ぎました。
昭和に入ってからは交通事情が良くなり利用客が増え、戦中には近隣に他の旅館もできました。戦後、近隣にはボーリングで新たな源泉も生み出され、塩田温泉は「塩田温泉郷」となりました。
そして、温泉ブームに乗って賑わったのですが。その後、
バブルの崩壊や阪神・淡路大震災、施設の老朽化、後継者問題
等々で、結局、盛時には5軒あった旅館が、現在は2軒に
なっています。 |
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| ↑昭和20年代の東館 |
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温泉ブームの頃には「新たにボーリングをして温度を高く、湯量を多くしないか」と勧められました。この源泉場を深く掘れば、熱い温泉も湧くと思われます。湯量も多くなるでしょう。
しかし、ここを掘れば、泉質が大きく変わる可能性があります。泉質が変われば、それは塩田温泉ではなくなります。
塩田温泉は、自然湧出という稀な温泉と泉質の良さで続いているのです。この温泉が湧き続ける限り、湯元を引き継ぐ者としては、これを守り続けていくことが務めであると考えています。 |
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